ご由緒:文治2(1186)年西行法師が東遊の際、山部赤人、小野小町の遺跡を訪ねようとこの山田村に来た時、村名が彼の郷里と同名であったことに心を動かし、奉持してきた山城国愛宕郡鞍馬の貴舩大明神の分霊を、村内坂東谷(ばんどうさく、墨染桜の所在地)に奉祀したのが起源という。その後文明元年(1469)1月4日現在の地に遷し、土気郷大椎城主千葉市の鬼門鎮護の神として崇敬をうけ、雨乞いや航海安全の霊験顕かな神として農漁村の信仰をあつめている。山田村の総氏神である。
1月4日 貴船神社大祭
宮司司祭の祭典終了後山田区長の主祭による御歩射(おびしゃ)に移る。
当番、次期当番の受渡し神事荘厳の内にも盃を重ね和気藹々の祭典が進行する。次いで祭壇に祭られた的、矢、弓を境内に移し的を「明の方」に設け的子が取上の補助のもとに先つ神矢を空に向かって射る。的には八咫カラスが描かれている。
次に普通矢を旧暦平年は12本、閏年は13本を的に向かって射る。主として真亀講社の人々や氏子が矢をひろう。
この矢を拾うと豊漁とされ、昔は矢を争って血を見ることもあったが、今は割合平穏に行われる。
的射が終わると再度祭典会場の席に戻り謡をして終える。